雑記

【KATULOG】プロフィール記事|自己分析と自己理解。

こんにちはKATUです。

この記事は、サイト運営者である私のプロフィールとなっております!

特に有益な情報はありませんので、興味がない人は今すぐページを閉じてください。

もしかしたら、「このブログどんな人が書いているんだろう?」と興味を持ってくれる人がいるかもしれないのでプロフィール記事を用意します。

ネット上の履歴書のつもりで本当のことだけ書くことをお約束しますね。

まずは、簡単なプロフィールです。

KATUのプロフィール

1994年生まれ/愛知県民/サラリーマン/副業(WEBライター、ブログ)/読書家/プロレスマニア

◾︎経歴:新卒で大手ITベンチャー企業に入社→3ヵ月で退職→WEBライター、ブロガーとしてフリーランス→現在(サラリーマン×ブロガー)

それでは、ネット上の履歴書のつもりで過去を振り返っていきたいと思います。

自己分析も兼ねて、かなり細かくやっていきます。

KATU

興味のある人意外は見ないでください!

幼少期

子供たち


幼少期の頃の自分が今の自分の資質に関わってくると、ある自己分析の本に書いてあったので振り返ってみます。

幼少期の私は一言でいうと、”落ち着きがない“だと思います。

じっとしているのが非常に苦手でよく怒られたものです。

  • いつも外で遊んでいたい
  • 走るのが好き
  • 高いところに登るのが好き

こんな感じでしたが、運動神経は抜群だったと自負しております。

正直、これを言ってもなかなか信じてもらえませんが、空気も読めた方だと思います。

例えば、小さい子がよく使う悪口ってありますよね?

バカ、アホ、デブ…など

こういった悪口(いじめではない)を日常的にみんな言っていましたが、親の前では絶対に言わないようにみんなを説得していました。

なぜ、そんなことをしていたか…

保育園だったので、帰りは親が迎えにきます。

迎えにきたら親同士が運動場で雑談をしているので、その間は惰性で園児だちが親の近くで遊んでいました。

そのときに万が一、「バカ、アホ、デブ」と悪口を言われている園児がいたらどうでしょうか。

おそらく親は、「うちの子いじめられてるんじゃないか…」と不安になりますよね。

そういった誤解を防ぐために空気を読んでいました。

あとは、運動会では自分と走る子は極端に足が遅く見えてしまいます。(私が足が早かったので)

なので、接戦になる程度に一生懸命走って勝っていました。

あまり、信じてもらえませんが本当に気を遣っていたと思います。

幼少期の性格などを分析すると、”落ち着きはないが、気遣いができる優しい子”だったと考えています。

ただ、当時プロレスにものすごくハマってみんなにプロレス技をかけまくっている写真があるので、パッと見全然優しそうに見えませんが…笑

小学校時代

野球ボール


小学生時代も落ち着きがない性格は変わりません。

むしろ、よりひどくなっていたと思います。

今でも覚えているのが、担任の先生が「この子は雨でも外で遊ぼうとするからちゃんと止めてね。」と自分の隣の席の子に言っていたことです…笑

とはいっても、学級委員や生徒会役員をやったり意外としっかりしていたと思います。

小学校時代を振り返ります。

低学年時代


小学校時代を振り返ります。

まず、入学式の写真は髪の毛の襟足が他のどの男の子より長かったです。

理由は、単純明快です。

幼少期にハマってしまったプロレスのせいです…

当時、新日本プロレスの天山広吉選手が大好きで、髪型をマネして襟足をのばしていました。

小学校低学年のころ学校の勉強などは人並みでした。

相変わらず運動神経は良かったですね。

コレクション気質があったのか、”ベイブレード“というコマのおもちゃに熱中して大会に出たりしていました。

この頃から、何かに熱中すると結構突き詰めるタイプだったと思います。

高学年時代

小学校の高学年になると、野球を一生懸命やっていました。

土日は全て少年野球に捧げ、プロ野球観戦がとにかく好きでした。

ポジションと打順は、ずっと一番ショート。

プロ野球は冗談抜きで1年通しで全試合追いかけていたと思います。中日ドラゴンズの試合です。

テレビで野球中継が始まるのが、だいたい19:00からでしたが試合開始は18:00です。

つまり、テレビ中継が始まるのは試合の途中から。

なので、ラジオを買ってもらい18:00から19:00は音声で中日ドラゴンズの試合を追いかけ、19:00からテレビ中継が始まるとずっとテレビにかじり付いていました。

それくらい野球に熱中していましたね。

自分が野球に熱中していることを、祖父が喜んでいたのを覚えています。

よく、一緒に野球観戦にいったことは良い思い出ですね。

なぜか野球の話が長くなってしまいましたが、小学校の高学年時代から分かる資質は”凝り性“だということ。

学業の方は意外と優秀で、通知書も音楽以外は三段階評価で三でした。

あと、寄せ書きなどで「いつも面白いことを言って笑わせてくれる」みたいな言葉がたくさんあるのですが、正直全く心当たりがありません。

むしろ、人を笑わせたりするのは苦手でなぜこんなことが書かれているのか不思議です。

同時の私を知る人教えてください。笑

中学校時代

勉強中


中学時代は、いろいろありましたね。

いわゆる、中二病的なことも…

基本的な性質としては小学生のころと変わっていません。

しかし、いろいろ新しいことに興味を持った時期で性格も少し変わってきました。

中学時代を振り返ります。

中学1年生

中学一年生になって、まず友達関係が一変しました。

別の小学校からきた子たちと入学式ですでに仲良くなり、一緒に野球部に入りました。

中学一年生のころは、とにかく部活に必死でしたね。

野球部でしたが、夏まで一年生はボールを触らせてもらえません。

ひたすら、外周と筋トレ。

当時は、「絶対、あの先輩より自分の方がうまいのに…早くボール触らせてくれ!」と本気で思っていました。

しかし、今思うと外周と筋トレしかできなかった時期も意味のある時間だったと思っています。

後に基礎体力の重要性に気付くことになったため、結果的に地獄の練習は良かったです。

この野球部での基礎体力をつける練習によって、”基本を学ぶことの重要性“を学びました。

少し趣味のことも触れると、ファッションにかなり興味を持っている時期。

ひとりで名古屋の大須に古着を買いにいくこともあった。

結構、ませていた中学一年生だと思っています。

今でも商店街を歩いたり、買い物に出かけたりするのは楽しいと思う。

中学二年生


中学二年生になり、相変わらず野球を一生懸命やっていました。

このころ、チームとしての大きな成功体験を掴みます。

結論からいうと、中学野球で県大会に出場し、ベスト8までいったことです。

愛知県は強豪が多いので、結構すごい。

しかも、普通の公立の中学だったので私たちが創立以来はじめての県大会進出です。

学校側からの待遇も手厚く、今まで自転車移動か電車移動だったのがバスを手配してくれるようになったりもした。

また、野球部全体的に髪がけっこう長くて私も相変わらず肩にかかるくらいのロン毛でしたが、なぜか野球部にロン毛が多い状態で他校からルーキーズみたいだと言われていました。

これも本来の学校の校則上はNGでしたが、野球で結果が出ていたこともあり、多少のロン毛も許してくれたのでしょう。

ここで分かったことは、結果を出せば多少のわがままも通用するということ。

ちなみに、この時期の将来の夢は美容師。

ファッションにすごく関心がありましたね。

あと、当時クローズやドロップといったヤンキー映画が流行っており、影響されてしまいました。

神社でけっこう大人数が集まってしまうような殴り合いの喧嘩をしてしまい、親も含めて学校に呼び出されて大問題になりました。

しかも、相手をケガさせてしまったので結果的に私が悪いということになりました。

いくら、挑発されても自分から手を出してはいけないことを学びました。

中学二年は文字通り、中二病でしたね。

結果の重要性“はこの時期に学んだのではないでしょうか。

中学三年生


中学三年になり、進路について考えることになります。

夏までは野球を続ける予定で、坊主を覚悟していました。

しかし、坊主を女子に見られたくない思いが強くて男しかいない工業高校にいくことを決意。

なので、受験勉強を一切しなかったのですが、当時流行っていたファッション雑誌のメンズエッグに影響されて「髪の毛を伸ばしたい!」と思うようになりました。(充分長かった気もしますが…)

ファッションに興味もあったので、坊主が本当に嫌になり野球を断念。

動機が不純だと言われますが、それくらいヘアスタイルとファッションに興味があったので仕方ありません。

髪の毛が伸ばせる普通科の高校を探すと、ちょっと偏差値の高い進学校を見つけました。

同じ中学からもけっこう受験する人が多かったので、偏差値50~60くらいのちょっとだけ頭が良い高校を第一志望に。

しかし、全く受験勉強をしてこなかったので、秋の時点で合格可能性が5%以下と模擬試験の結果で出てしまいました。

絶対に髪の毛を伸ばしたい。」「パーマをかけたい。」みたいに思って秋から猛勉強。

塾にも通い、風呂でも勉強し、トイレでも勉強し、自分でもびっくりするくらい猛勉強しました。

ここで分かったことは、”明確な目標があると必死になれる“ということ。

周りから見たらよく分からない目標でしたが、”自分がゴールに向かって努力をできる人間“だとはじめて知りました。

結果的に合格することができ、人生の中でけっこう大きな成功体験でした。

中学時代を振り返ってみると、”何か目標が決まるとけっこう頑張る” といった資質があると思います。

【オマケ】当時好きだったアーティスト
  • THE OFFSPRING(ザ・オフスプリング)
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高校時代

バイクと夜景

高校生になり、いろいろな経験をしました。

アルバイト、ジム通い、バイク…

と思い浮かんだのは学校外のことですが、学校生活も非常に充実していたと思います。

そんな高校時代を振り返ります。

高校一年生


無事第一志望の高校に入学し、楽しみにしていた高校生活がはじまりますが最初は毎日退屈だと感じていました。

というのも、中学時代に仲の良かった友達は、どちらかというとヤンチャな部類に入る人たちでした。

しかし、進学校ということもあり、みんな優等生に見え自分に合わないと感じました。

最初の一ヶ月くらいは、誰とも話しません。

ずっと一人で行動していて、昼ごはんもひとりで食べていました。

特にツライとも思わず、孤独を好んでいたと思います。

話しかけるなオーラがすごかったそうですが、そんな中話しかけてくれた人がいて普通に仲良くなりました。

この頃から、”孤独を好むが決して友達がいらないわけじゃない“といったスタンスをとるようになり、意外と友達はたくさんできました。

人は環境で変わる“と言いますが、確かに変わりました。

正直、最初は進学校特有の勉強メインの生活に絶対に馴染めないと思っていましたが、気付いたら同じように授業を受け、夏休みも学校にきて勉強したりしてました。

環境で人は変わる“ということを実感した時期です。

ちなみに部活は陸上部に入り、すぐに辞めました..

高校二年生


高校二年生はとにかく楽しかったです。

喫茶店でアルバイトをはじめて、お金を貯めバイクを購入。(本当は学校でバイトもバイクも禁止)

クラスメイトも面白い人が多く、仲が良かったです。

今でも連絡があれば会いたいと思う。

このときは、いわゆる”いつメン“的な人もいて、何をやっても楽しかったです。

この頃に学んだことは、”何をやるかではなく誰とやるかが重要“ということです。

夜はよくバイクで走り回っていたので、何度も喧嘩を売られたし、ヤンチャな大人に目をつけられたりもしました。

この頃に悪い人たちに絡まれることに耐性ができ、メンタルが強くなったと思います。(そんなメンタル必要なのかは、よく分かりませんが…)

学生生活では高校二年生のころが一番充実していたと思います。

高校三年生


高校三年生になり学校生活も充実していました。

勉強は程々に、遊んでいることが多かったです。

しかし、進学校ということもあって9割が大学へ進学します。

私も明確な目標はないものの、「今、やりたいこと分からないし、とりあえずに大学行くか…」みたいに何となく大学進学を決意。

受験勉強は、秋くらいまで全くやる気が起きませんでした。

この頃から、自分は”追い込まれないとやらない“とか”ギリギリになって一気に取りかかる“という資質に気付きました。

つまり、”先延ばし癖“があるとえます。

これは、未だに自分の治すべき性質だと思っていて、できる限り計画を立てたり仕事ならKPI設計をすることで何とかやっています。

最終的には志望していてた大学の法学部に合格し、何とか受験を乗り切りました。(そんなに頭の良い大学ではない。)

【オマケ】当時使っていたワックス
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大学時代

大学の講義室


無事、志望していた大学へ入学。

高校生まで比較的、順風満帆に進んできました。

しかし、大学に入ってから、いろいろと狂ってしまいました。

今、後悔しても仕方がないですが「あのとき、こうしとけば良かった…」のような思いは、大学時代に多くあります。

そんな大学時代を振り返ります。

大学一年生


大学一年生のときの心境はこんな感じでした。

これから四年間自由な毎日が待っている!!!

おそらく多くの不真面目な大学生は、こんなこと思っていたでしょう。

私もその一人です。

大学というのは時間割も自分で決められて、休日も自分で設定できます。

この”自由度の高さ“が大学の魅力なのです。

しかし、この自由度の高さのせいで後に大変な目に遭います。

自由過ぎるせいで、”サボり癖“がついてしまったわけですね。

正直、大学一年生のころは何も良い思い出はありません。

そこまで、気の合う友達もできません。

むかしから友達は多い方でしたが、多分大学での友達は0人だと思います。

何となく行動を共にしている人たちはいましたが、休日に遊んだりすることはありません。

サークルなどにも入らず、思い描いていたキャンパスライフは全く形になりませんでした。

この時期に学んだことは、”自由度が高過ぎる環境では鉄の意思が必要“ということです。

人間ってやっぱり楽な方へ流れてしまうんですよね。

大学二年生


大学二年生に入り、ますます大学に行かなくなりました。

非常に情けないことですが、「こんな意味がない授業出たくない!」と完全に他責思考でいる毎日です。

今思えば自分が何もしたくない状況を肯定するために環境や周りを否定していた時期で、すごく反省しています。

大学にも全然行けなかったので、「大学を辞めて働こうか…」と思っていました。

でも、せっかく入ったしもったいないという気持ちもあり、とりあえず休学することに決定。

更に、その頃いつも遊んでいた地元の人たちと喧嘩みたいになって、イライラした毎日を過ごしていました。

環境を変えよう!

思い立ったら結構勢いよく行動することが多く、今まで全く知らなかった”クラブ業界“で働くことを決意。

クラブとは、DJがいてバーカウンターがあって毎日フェスみたいなことをやっている場所。

この決断が、今の自分の人生の大きく影響しています。

なぜなら、全く180度ちがうことをはじめたわけなので、全てが変わります。

やはり、”人は環境で大きく変化できる“ことを体験しました。

嫌なことが続いたり、何もやる気がおきないときは思い切って環境を変えることが重要だと再認識した時期です。

休学

クラブ


大学を休学して自由な状態からより自由になったわけで、毎日気楽に過ごしていました。

これからどうするのか自分でも良く分かりませんでしたが、一つだけ言えるのが「新しいことを体験しよう!」というものはありました。

クラブで働きながら、アフィリエイト、せどり、仮想通貨、広告収入など…

いろいろ手を出しました。

そんな休学時代を振り返ります。

クラブで働く


全章でも軽く触れましたが、クラブで働いていました。

これがすごく素晴らしい仕事で、今でも楽しかったと思います。

一言で表すなら、”ホスピタリティを届ける仕事“でした。

いろんな飲食店に行きますが、このときの接客はかなりレベルが高かったと今でも思います。

一般的には、なかなか働こうと思わない場所だと思います。

そのおかげで一緒に働いている人のキャラの濃さに驚きましたね。

実際、今の交友関係のほぼ全てはここで出会った仲間たちです。

この仕事で学んだことは、”気遣い力“です。

もともと、気を遣うことは得意でしたが更に磨かれたと思っています。

勤務時間は夕方の18:00〜夜中の3:00~5:00くらいで、完全に昼夜逆転のハードワークでした。

それでも、辞めたいと思うことなく楽しく働いていました。

多分、楽しいと思える仕事で信頼できる仲間となら、仕事を仕事だと思わないんだと思います。

大学生活を全く謳歌できなかった私にとって、このときの体験は青春そのものでしたね。

誰と何をやるかが仕事で重要”だと気付きました。

読書が好きになる


クラブで働いてるとはいえ、昼間の時間は空いています。

何かしないといけないと思って、とにかく本を読みまくりました。

多分、休学中に少なくとも200冊は読んだと思います。

本を読んでいると、「大学に戻って勉強したい!」と思うようになりました。

また、現在の私の基本的な考えである「一つの企業だけに依存するのは危険で個人で稼げる力を身につけるべきだ。」というのも読書がキッカケです。

本の魅力については別の記事でも語っています。

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読書のメリットとは?|100冊読んで分かった本の魅力はこれだ!読書のメリットについて知りたいですか?この記事では、本を年間100冊以上読む私が読書のメリットや本の魅力についてお話しします。...

復学

図書館


大学を二年間休学して、復学をしました。

二年間休学することで、私が大学に戻るころは同級生はみんな卒業の年です。

個人的には誰も知り合いのいない状態で過ごしたキャンパスライフの方が大学1~2年の頃より充実していました。

そんな復学後の大学生活を振り返ります。

大学三年生

大学三年生は、気持ち的には新入生の感覚です。

ずっと”ぼっち“で行動していたので、よく新入生と間違われてサークルの勧誘を受けました。

しかし、この環境をチャンスと考え、講義も一番前で聞きとにかく必死に勉強していました。

分からない部分は、研究室を尋ねて教授に直接質問したりしました。

この頃の生活リズムは最悪です。

クラブで働くのをやめないで、大学に通っていたので毎日2~3時間睡眠で学校に行っていました。

かなりストイックだったと思います。

いつも眠気と戦っており、車で常に行動していたのですがコンビニの駐車場で何時間も寝てしまうこともよくありました。

でも、とにかく単位をとって卒業するという目的があったので頑張れました。

単位を取ることなんで簡単じゃん!」と思った大学経験者の方もいると思います。

でもぼっちですよ。一度でも休んだらおしまいです。友達に聞くということができないからです。

しかも、休学前にサボりまくってたせいで。週5で丸一日授業がありました。

とにかくストイックに過ごした時期でした。

大学四年生


大学四年生になっても生活はそんなに変わりませんでした。

単位も本当にギリギリだったので、勉強を一生懸命やっていました。

秋くらいから就活もはじめて、意外と内定もいくつか貰えてすぐに決まりました。

正直、就活は全く力を入れていなくて、何となく大企業でIT系の会社がいいなと思って決めました。

今思えば、もっとしっかり就活すれば良かったなと思います。

本当に大学生活は後悔が多かったですね。

新卒で入社した会社

付箋


新卒の切符を手にしたにもかかわらず、何となくIT企業で上場している企業という条件で就職先を決めました。

これは正直、大失敗でした。

もちろん、大きい企業だったので会社というものを多少は学んだ気はしますが、後悔は大きいです。

もっと、自己分析をして、よく考えて就活すれば良かったな…」と思います。

結局、三ヶ月で新卒で入社した会社は退職することになり、前から副業でやっていたWEBライターでフリーランスでもやってみようと考えました。

何をするにしても、「自分が本当にやりたいことにある程度沿っているか」を意識しないといけないことを学びました。

新卒 3ヶ月で退職したときの話は以下の記事でもまとめています。

オフィス街
転職で勇気が出ない人!新卒3ヶ月目で退職をした時の話をします。転職をする勇気が出ませんか?会社を辞める勇気が出ない人へ、新卒3 ヶ月目で会社を退職した私が、リアルな声をお届けします。...
転職と副業のかけ算
【書評】転職と副業のかけ算『気付きと感想』まとめました。 こんにちは。KATUです!今回は、motoさんの「転職と副業のかけ算」という本の書評記事です。motoさんは、サラリーマンでありながら...

フリーランス

WEBライター


新卒で入社した会社を3ヶ月で退職し、フリーランスの道へ。

とはいっても、転職先は常に探していて、同時進行でフリーランスとしての活動もやっていました。

主に、WEBライターとブロガーという職業で活動。

元々、文章を書くことが好きで、自分の得意でもあり好きなことです。

収益の8割くらいがWEBライターとしての報酬。

WEBライターに関することは以下の記事でまとめています。

正直、そこまでうまくはいかなかったです。

いろいろと失敗も経験しました。

例えば海外の案件を受注して、私のつめの甘さから納品後に報酬が支払ってもらえなかったり…(とばれた)

もっと社会のことを知らないと独立なんで無理だ!」こんなことを思っていました。

WEBライターとは?必要な資格と仕事内容まで解説!在宅勤務でも稼げるって本当?WEBライターのお仕事内容について知りたいですか?この記事では、WEBライターの業務内容から必要なスキルまで現役のライターである私が解説します。...
【オマケ】WEBライターで稼ぐために読んだ本
  • 沈黙のWEBライティング
  • 人を操る禁断の文章術

ベンチャー企業に転職

営業マン


フリーランスを数ヶ月、経験してベンチャー企業に入社。

営業力や社会人として当たり前なビジネススキルが圧倒的に足りないと思ったため、会社でしっかり軸を固めることにしました。

人材業界で営業とマーケティングを経験。

はじめての経験が非常に多かったです。

テレアポ、商談、見積書の作成、KPI設計など…

基本的なビジネススキルは身についたと思います。

正直、テレアポも法人営業も「自分に本当にできるのか?」という不安がありました。

しかし、やはり”人間は環境の生き物“です。

慣れればできるようになりました。

最後に

太陽の光


プロフィール記事を読んで頂きありがとうございます!

自己分析をするという意味もこめて、細かく書いてきたので長文記事になってしまいました。

もし、興味を持っていただけたらこれからもブログを読んで頂ければ幸いです。

ありがとうございました。

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